2ヶ月前、大統領の怪しげなマイホームの融資方法を紹介した。ヴルフ氏は新しい事実が出てくる度に、「法律には触れてない。」と、タイ王国の元タクシン首相と同じ論拠で、辞任要求を退けた。法律で禁じられていないなら、政治家の地位、立場を利用して「何をしてもよい。」という理屈は、一国、それもどこかの独裁国家ではなく、民主国家の最高権力者の言い訳としては情けないものである。
ところが蓋を開けてみると、これは一連のスキャンダルの始まりでしかなかった。大統領はドイツの週刊誌、Bild誌がマイホームの融資について調査をしている事を知ると、報道をストップさせるべく同誌の編集長に電話、「戦争をしかけるつもりか。」と脅しをかけた。しかもマズイ事に、編集長が不在だった為、留守番電話にこの脅迫メッセージを残してしまった。ご存知の通り、ドイツでは「戦争」という言葉は、ナチス時代を連想させるので全く人気がない。アフガニスタンでドイツ兵が戦死しても、"gefallen"(戦死した。)という言葉を避けて、"zum Opfer gefallen"(犠牲になった。)と言う。さらに前大統領が、「ドイツ経済圏の安全確保の為に兵士を送るべきだ。」とやってメデイアから批判を受けて、辞任したことはまだ記憶に新しい。そのドイツで大統領が、自分に都合の悪い記事の報道を止めるべく、「戦争をしかける。」という言葉を使用したのから、これは大きな反響を呼んだ。
メデイアは報道の自由を侵されるのを極度に嫌う。だから各新聞は「大統領、電話で恐喝をかける!」と報道、ドイツのメデイアは反大統領ムード一色に染まった。ヴルフ氏はこの非難を無視して急場をしのうごうとしたが、多分、首相から圧力をかけられたのだろう、2度目の釈明記者会見を行うことを発表した。この記者会見はヴルフ氏最後のチャンスで、あらゆる疑問を払拭する必要があった。これを怠れば第三回目の釈明記者会見はなく、次回は辞任会見になる。にもかかわらずヴルフ氏は一般記者の質疑に答えるというしんどい形の会見を拒否、国営放送のアナウンサーに自分で書いた質問を渡して、これに答えるというみかけの記者会見でお茶を濁すことにした。会見中、「どうして銀行でお金を借りないで、友人に借りるという方法を取ったのか。」とマイホームの融資について聞かれると、「当時は金融危機の真最中であった為、友人は危険のない投資先を探しており、私がお金を借りてあげる事にした。」と、まるで人助けをしたかのような言い草であった。実際の所、50万ユーロもの金があれば、どこの銀行に預けてもヴルフ氏への個人融資よりも、はるかに高い利子を得られた。だが国営放送のアナウンサーはそのような質問をする事は許されていなかった。さらに、「これまで大統領府に問い合わせがあった400を超える質問に回答しており、質疑を無視しているという非難は当たらない。」と反撃、「これを証明する為に、これまで答えた質疑応答をインターネット上で公開する。」と大見得を切った。
ヴルフ氏を大統領に推した為、背水の陣を引いている首相は、「大統領は記者会見にてすべての疑問に切実に答えて、その信頼性を証明した。」と直ちに大統領を褒める声明を出したが、砂漠に響く説法のように孤独だった。ヴルフ氏が約束した質疑応答の公開は、記者会見が終わっても一向に公開されなかった。大統領は「質問を寄せた人の権利を守るために公開できない。」と弁護士にコメントさせて逃げようとしたのはまずかった。ただでさえ傷が付いている大統領のイメージは、さらに傷が深くなった。ここで特ダネのチャンスを狙ったBild誌が、大統領の記者会見での声明、「秘密にする事は何もない。」を逆手に取り、「隠すことがないなら、メッセージを公開したい。」と留守番電話のメッセージを公開する許可を打診した。ドイツの法律では電話での会話を録音して、勝手にこれを公開すると個人の権利の侵害になる。しかし留守番電話にメッセージを残すと、このメッセージの所有権は留守番電話の持ち主に移り、このメッセージを独断で公開する事ができる。元弁護士の大統領は、そんな事は知っておくべきだった。その一方で、大統領が編集長を戦争で脅している肉声が公開されれば、大統領の威厳は完全に失われる。そこで氏は、「あれは個人的なメッセージであり、公開されるべきものではない。」と回答、「隠すことはないもない。」という大統領の言葉は、今回も守られることはなかった。
以後、ほぼ毎週ヴルフ氏の新しいスキャンダルが新聞を飾った。オクトーバーフェストに招待させてミュンヘンの高級ホテル「四季」に無料宿泊した件、今度はルフトハンザのエコノミークラスのチケットを購入して、ビジネスクラスで飛んだ件、州政府の予算を企業家のパ-テイーに勝手に使った件、奥さんの車をVWから特別料金でリースした件など、その数は多くとても書ききれたものではない。ヴルフ氏が州知事の地位を利用して利益を得たことは、誰の目にも明らかなのだが、大統領は「法律に触れることは何もしていない。」の一点張り。長年の側近であり、スポークスマンであった秘書が検察の調査を受けて証拠書類を押収されても、「秘書のやったこと。」で済ませる角栄振り。
ところがである。数多い招待旅行の中にドイツ一高価な観光名所Syltでの、当時はまだ結婚していない(今の奥さんとの)「水入らず」の3日間があった。今回も一泊258ユーロもする高級ホテルの宿泊費を払ったのは、企業家だった。それだけなら、「いつもの事。」で済むのだが、この企業家に州から補助金が支払われていた。片側が贈り物をするだけならまだ「法律に触れていない。」で済むかもしれないが、そのお礼を行うと立派な収賄になる。さらにこの一件を面白くしてくれたのは、この企業家が2012年1月にホテルに現れると、当時の支払い領収書のコピーを要求、「Bild誌やSpiegel誌が領収書について尋ねてきたら、何も知らないと言え!」と命令したこと。この口調に気分を悪くした従業員は、Bild誌が取材に来ると、口封じされた事実を(小額のお礼と引き換えに)暴露してしまう。
この一件が報道されても氏は、「宿泊費は後から現金で払った。法律には触れていない。」と弁護士を通して声明を出す始末だった。普段ならそれで済んだかもしれないが、企業家に利便を図ってやった事が致命傷となった。検察がこの一件で調査を開始、「大統領の不可侵特権を解除して欲しい。」と国会に申請を出した。このニュースは2月16日の夜に緊急ニュースで流れたが、ドイツの歴史上、検察が大統領の不可侵特権の解除を要請したことはない。メデイアは大統領府、あるいは首相のスポークスマン、与党の平議員にまでコメントを求めたが、誰も誰も固く口を閉ざしたままで(緘口令が出て、裏で何かが進行中である証拠。)緊張感が増した。2月17日早朝になって、「10時から大統領が記者会見を行う。」と大統領府からの発表があったのに続き、「10時半から首相が声明を発表する。」とニュースが相次いだ。最初の会見は辞任会見で、これに続く会見は首相の大統領辞任へのコメントであるように推測された。もっとも「ヴルフ氏の事だから、何かまた理由をつけて辞任を拒否するんじゃないか。」との憶測が交わされ、ドイツ中が緊張してこの記者会見を待っていた。
これまでの会見と異なり、大統領が奥さんと一緒に会見に臨んだことから、これは辞任会見である事が予想された。ヴルフ氏は、「これまでの報道で深く傷ついた。」とメデイアの報道振りを非難してから、「大統領の仕事を遂行するのに必要な尊厳が損なわれた為、辞任する。」と辞任理由を述べた。もっとも「法に触れることはしていない。」と潔白を主張、最後まで過失を認めることを拒否した。氏の生い立ちは他の政治家のように恵まれたものではなく、社会の底辺から、本人の努力で成り上がった叩き上げの政治家だった。これが氏を招待旅行などの賄賂に弱くしたのかもしれない。これに続いた首相の会見では、「大統領の決断に敬意を表する。」と発表したが、他に一体どんなコメントが可能だっただろう。これまでスキャンダルが明らかになる度に、「大統領を信頼している。」と後押しをした結果が、かってない悲劇の辞任劇である。大統領の地位はヴルフ氏の頑迷な姿勢により大きく損なわれた。「大統領に立候補してみないか。」と聞かれたかってのフィッシャー外相は、「とんでもない。今、大統領に就任できるのは、神のような存在だけだ。その神でさえ、かって招待旅行を受けていなかったのか、メデイアの集中検査を受けることになる。」と面白いコメントをもらしていた。
次回の大統領は3月18日に選出されることになったが、愉快な候補者探しが展開された。その詳細は乞うご期待。
国民から愛想を付かされた大統領は、

辞任要求を蹴ってお笑いのネタになってから、

やっと辞任した。

ところが蓋を開けてみると、これは一連のスキャンダルの始まりでしかなかった。大統領はドイツの週刊誌、Bild誌がマイホームの融資について調査をしている事を知ると、報道をストップさせるべく同誌の編集長に電話、「戦争をしかけるつもりか。」と脅しをかけた。しかもマズイ事に、編集長が不在だった為、留守番電話にこの脅迫メッセージを残してしまった。ご存知の通り、ドイツでは「戦争」という言葉は、ナチス時代を連想させるので全く人気がない。アフガニスタンでドイツ兵が戦死しても、"gefallen"(戦死した。)という言葉を避けて、"zum Opfer gefallen"(犠牲になった。)と言う。さらに前大統領が、「ドイツ経済圏の安全確保の為に兵士を送るべきだ。」とやってメデイアから批判を受けて、辞任したことはまだ記憶に新しい。そのドイツで大統領が、自分に都合の悪い記事の報道を止めるべく、「戦争をしかける。」という言葉を使用したのから、これは大きな反響を呼んだ。
メデイアは報道の自由を侵されるのを極度に嫌う。だから各新聞は「大統領、電話で恐喝をかける!」と報道、ドイツのメデイアは反大統領ムード一色に染まった。ヴルフ氏はこの非難を無視して急場をしのうごうとしたが、多分、首相から圧力をかけられたのだろう、2度目の釈明記者会見を行うことを発表した。この記者会見はヴルフ氏最後のチャンスで、あらゆる疑問を払拭する必要があった。これを怠れば第三回目の釈明記者会見はなく、次回は辞任会見になる。にもかかわらずヴルフ氏は一般記者の質疑に答えるというしんどい形の会見を拒否、国営放送のアナウンサーに自分で書いた質問を渡して、これに答えるというみかけの記者会見でお茶を濁すことにした。会見中、「どうして銀行でお金を借りないで、友人に借りるという方法を取ったのか。」とマイホームの融資について聞かれると、「当時は金融危機の真最中であった為、友人は危険のない投資先を探しており、私がお金を借りてあげる事にした。」と、まるで人助けをしたかのような言い草であった。実際の所、50万ユーロもの金があれば、どこの銀行に預けてもヴルフ氏への個人融資よりも、はるかに高い利子を得られた。だが国営放送のアナウンサーはそのような質問をする事は許されていなかった。さらに、「これまで大統領府に問い合わせがあった400を超える質問に回答しており、質疑を無視しているという非難は当たらない。」と反撃、「これを証明する為に、これまで答えた質疑応答をインターネット上で公開する。」と大見得を切った。
ヴルフ氏を大統領に推した為、背水の陣を引いている首相は、「大統領は記者会見にてすべての疑問に切実に答えて、その信頼性を証明した。」と直ちに大統領を褒める声明を出したが、砂漠に響く説法のように孤独だった。ヴルフ氏が約束した質疑応答の公開は、記者会見が終わっても一向に公開されなかった。大統領は「質問を寄せた人の権利を守るために公開できない。」と弁護士にコメントさせて逃げようとしたのはまずかった。ただでさえ傷が付いている大統領のイメージは、さらに傷が深くなった。ここで特ダネのチャンスを狙ったBild誌が、大統領の記者会見での声明、「秘密にする事は何もない。」を逆手に取り、「隠すことがないなら、メッセージを公開したい。」と留守番電話のメッセージを公開する許可を打診した。ドイツの法律では電話での会話を録音して、勝手にこれを公開すると個人の権利の侵害になる。しかし留守番電話にメッセージを残すと、このメッセージの所有権は留守番電話の持ち主に移り、このメッセージを独断で公開する事ができる。元弁護士の大統領は、そんな事は知っておくべきだった。その一方で、大統領が編集長を戦争で脅している肉声が公開されれば、大統領の威厳は完全に失われる。そこで氏は、「あれは個人的なメッセージであり、公開されるべきものではない。」と回答、「隠すことはないもない。」という大統領の言葉は、今回も守られることはなかった。
以後、ほぼ毎週ヴルフ氏の新しいスキャンダルが新聞を飾った。オクトーバーフェストに招待させてミュンヘンの高級ホテル「四季」に無料宿泊した件、今度はルフトハンザのエコノミークラスのチケットを購入して、ビジネスクラスで飛んだ件、州政府の予算を企業家のパ-テイーに勝手に使った件、奥さんの車をVWから特別料金でリースした件など、その数は多くとても書ききれたものではない。ヴルフ氏が州知事の地位を利用して利益を得たことは、誰の目にも明らかなのだが、大統領は「法律に触れることは何もしていない。」の一点張り。長年の側近であり、スポークスマンであった秘書が検察の調査を受けて証拠書類を押収されても、「秘書のやったこと。」で済ませる角栄振り。
ところがである。数多い招待旅行の中にドイツ一高価な観光名所Syltでの、当時はまだ結婚していない(今の奥さんとの)「水入らず」の3日間があった。今回も一泊258ユーロもする高級ホテルの宿泊費を払ったのは、企業家だった。それだけなら、「いつもの事。」で済むのだが、この企業家に州から補助金が支払われていた。片側が贈り物をするだけならまだ「法律に触れていない。」で済むかもしれないが、そのお礼を行うと立派な収賄になる。さらにこの一件を面白くしてくれたのは、この企業家が2012年1月にホテルに現れると、当時の支払い領収書のコピーを要求、「Bild誌やSpiegel誌が領収書について尋ねてきたら、何も知らないと言え!」と命令したこと。この口調に気分を悪くした従業員は、Bild誌が取材に来ると、口封じされた事実を(小額のお礼と引き換えに)暴露してしまう。
この一件が報道されても氏は、「宿泊費は後から現金で払った。法律には触れていない。」と弁護士を通して声明を出す始末だった。普段ならそれで済んだかもしれないが、企業家に利便を図ってやった事が致命傷となった。検察がこの一件で調査を開始、「大統領の不可侵特権を解除して欲しい。」と国会に申請を出した。このニュースは2月16日の夜に緊急ニュースで流れたが、ドイツの歴史上、検察が大統領の不可侵特権の解除を要請したことはない。メデイアは大統領府、あるいは首相のスポークスマン、与党の平議員にまでコメントを求めたが、誰も誰も固く口を閉ざしたままで(緘口令が出て、裏で何かが進行中である証拠。)緊張感が増した。2月17日早朝になって、「10時から大統領が記者会見を行う。」と大統領府からの発表があったのに続き、「10時半から首相が声明を発表する。」とニュースが相次いだ。最初の会見は辞任会見で、これに続く会見は首相の大統領辞任へのコメントであるように推測された。もっとも「ヴルフ氏の事だから、何かまた理由をつけて辞任を拒否するんじゃないか。」との憶測が交わされ、ドイツ中が緊張してこの記者会見を待っていた。
これまでの会見と異なり、大統領が奥さんと一緒に会見に臨んだことから、これは辞任会見である事が予想された。ヴルフ氏は、「これまでの報道で深く傷ついた。」とメデイアの報道振りを非難してから、「大統領の仕事を遂行するのに必要な尊厳が損なわれた為、辞任する。」と辞任理由を述べた。もっとも「法に触れることはしていない。」と潔白を主張、最後まで過失を認めることを拒否した。氏の生い立ちは他の政治家のように恵まれたものではなく、社会の底辺から、本人の努力で成り上がった叩き上げの政治家だった。これが氏を招待旅行などの賄賂に弱くしたのかもしれない。これに続いた首相の会見では、「大統領の決断に敬意を表する。」と発表したが、他に一体どんなコメントが可能だっただろう。これまでスキャンダルが明らかになる度に、「大統領を信頼している。」と後押しをした結果が、かってない悲劇の辞任劇である。大統領の地位はヴルフ氏の頑迷な姿勢により大きく損なわれた。「大統領に立候補してみないか。」と聞かれたかってのフィッシャー外相は、「とんでもない。今、大統領に就任できるのは、神のような存在だけだ。その神でさえ、かって招待旅行を受けていなかったのか、メデイアの集中検査を受けることになる。」と面白いコメントをもらしていた。
次回の大統領は3月18日に選出されることになったが、愉快な候補者探しが展開された。その詳細は乞うご期待。
国民から愛想を付かされた大統領は、

辞任要求を蹴ってお笑いのネタになってから、

やっと辞任した。

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