大統領の辞任が(内輪で)決まると、水面下で後任者探しが始まった。野党が先回大統領候補に挙げ、ヴルフ氏に負けたGauk氏は、その穏やかで控えめな、しかしはっきりと物を言う性格で国民のハートを掴んだ。氏は、大統領のスキャンダルが報道される度に、"der heimliche Praesident"(本当の大統領)と呼ばれて、ますます人気を博した。そして大統領がやっと辞任 すると、野党にとってガウク氏以外の他の候補は考えられなかったので、候補者探しは簡単だった。政府与党の候補者探しは、そう簡単にはいかなかった。
メルケル首相にとって、3年間で3人目の大統領が必要になった為、今度は失敗が許されない。またしても首相が推した大統領が辞任する事は、なんとしても避けならない。別の言い方をすれば、野党の賛同を得て候補を立てる事が望ましい。そうすれば、大統領がまたミスをこいても、野党は自分の立場を弱める事なくして辞任を要求できないからだ。こうした考えから首相は、「野党と一緒に国民に受け入れられる大統領候補を探したい。」と殊勝な声明を出した。ところがこのコメントを聞いて、怒り狂っている人物が居た。そう、連立与党F.D.P.党首のレスラー氏だ。氏は即座に記者会見を行い、「CDU(首相)は、まずは連立与党のパートナーと協議するもので、野党はそれからだ。」と首相に相手にしてもらえない怒りをぶちまけた。
首相の白羽の矢は、首相のかっての政敵であった「邪魔者」、大蔵大臣のショイブレ氏に向けられたが、野党の反応は目に見えていた。又、本人も大統領職に魅力を感じていない為、この話は早く消え去った。次にはいささか退屈感があるが、ミスのない確実な仕事をしている国防大臣が大統領候補に上がったが、「閣僚メンバーは受け入れない。」という野党の声明で、この候補者もボツになった。3度目の正直として候補にあがったのが、元最高裁判所の裁判官。今度は野党も頭から拒否しなかったので、「これで決まったか?」と思ったが、「とんでもない。」と本人が話を聞かされて辞退したので、この話もお流れになった。首相は、誰かを大統領候補に推す前に、その候補者に大統領になりたいかどうか、聞いてから候補に上げるべきだった。こんな初歩の手続きも踏んでいないことは、手持ちのカードがなくなっていた事を意味した。八方塞りの首相は、批判的なコメントも辞さない為、あまり気に入らないが野党にも受け入れてもらえそうな国会議長を推す事にした。今回は先回の失態に懲りて、ちゃんと本人に大統領になりたいか聞いたが、その答えは、"Nein, Danke."だった。
こうした政府与党が一向に大統領候補者を立てれない状況が続くと、「大統領なんて実権のない、飾りだけの職務は廃止すべきだ。」という声が大きくなってきた。この理論は、歴史にとらわれずに、合理的に物を考えるドイツ人らしい理論だ。ところが左翼政党を除き、他のすべての政党が大統領職の継続に賛成だったため、大統領探しは延長戦に入る事になった。
ここで首相に冷遇されていたレスラー氏が、反逆に出る。「F.D.P.はガウク氏を大統領候補に推す。」と声明を出し、敵側に寝返った。これを直接本人からではなく、テレビのニュースで聞かれた首相の怒りは、ものすごいものだった。欧州の運命を左右できる権威と権力を持つ首相を、次回の選挙では国会から消える運命にある弱小政党が裏切ったのだから、そのあつかましい態度は許せるものではなかった。首相がガウク氏の大統領候補に反対していたのは、面子の問題だった。首相は先回の大統領選でヴルフ氏を推した。その同じ首相が今、ガウク氏を推すと、先回の首相の判断が間違いであった事を認めてしまう。これが原因で首相には、ガウク氏だけは受け入れられるものではなかった。レスラー氏は、その辺の実情は百も承知。明智光秀のように、これまで冷遇された仕返しに、首相に一番堪える候補者を推す事にした。
これに狂喜したのが野党だ。「F.D.P.は3月18日の選挙で、ガウク氏に投票して、その誠意を示せばいい。」とやり、敵陣の反応を待った。すでに大統領のイメージに大きな傷が付いているので、「これ以上、公に非難の応酬をすべきでない。」と判断した首相は、連立政権の会議を開き、「内輪」で解決する事にした。首相はレスラー氏を軽んじており、直接会って、締め上げれば氏が翻意すると確信していたが、今度ばかりは氏は本気だった。首相がいくら脅してもレスラー氏は一歩も譲歩せず、逆に連立政権の終焉を示唆する始末。今、連立政権が潰れてしまうと、与党のイメージが悪化して首相の夢、3度目の首相任命が遠くなる。大統領職のような実権のない、何も得をする事がない候補者選びで、政権を無くしていいのか。そう考えた首相は、やはり首相たる度量があったようで、譲歩、「ガウク氏を大統領候補として推す。」と声明を出し、敗北を認めた。こうして全政党の"Wunschkandidat"(希望候補者)となったガウク氏は主要政党の責任者と共に記者会見に臨んで、与党、野党が氏を推す事に感謝の意を述べた。
ところがである。この"Wunschkandidat"に満足していない政党がひとつだけあった。左翼政党である。野党、与党から「一緒にガウク氏を推さないか。」と声さえもかかる事がなかったので、気分を害した。そこで独自の大統領候補を挙げる事にした。今回左翼政党が見つけてきたのは、Klarsfeld女史。早い話、ただのおばちゃんである。他のおばちゃんと違うのは、若い頃、ドイツの首相に平手打ちを食わせて有名になった事がある。初めから勝ち目がなく、恥をさらすだけの大統領候補になる事を何故承知したのか理解し難いが、またマスコミに注目されたかったのかもしれない。
大統領選出は3月18日に行われた。先回と異なり今回は最初の投票にてガウク氏が80%を超える得票率を得て、大統領に選出された。大統領に選出された後の最初の言葉は、"Was fuer ein schoener Sonntag."(なんという素敵な日曜日)であり、飾り気のない、素朴な人柄をよく表している。3月23日、国会にて大統領就任の宣誓を済ましたガウク氏は、大統領として最初の就任演説をおこなった。演説では、普通のドイツ人なら言いたくないタブーテーマ、ネオナチによるドイツ在住の外国人連続殺害にもしっかりと触れた。普通の人間ならタブーとするテーマを率直に語るその態度は、やはり立派なものである。一体、どの日本の首相が慰安婦問題など、日本社会のタブーテーマに言及する勇気を持っていただろう。
レスラー氏の最後の一矢で、

大統領となった、

ガウク氏を祝福する首相の心境は?

メルケル首相にとって、3年間で3人目の大統領が必要になった為、今度は失敗が許されない。またしても首相が推した大統領が辞任する事は、なんとしても避けならない。別の言い方をすれば、野党の賛同を得て候補を立てる事が望ましい。そうすれば、大統領がまたミスをこいても、野党は自分の立場を弱める事なくして辞任を要求できないからだ。こうした考えから首相は、「野党と一緒に国民に受け入れられる大統領候補を探したい。」と殊勝な声明を出した。ところがこのコメントを聞いて、怒り狂っている人物が居た。そう、連立与党F.D.P.党首のレスラー氏だ。氏は即座に記者会見を行い、「CDU(首相)は、まずは連立与党のパートナーと協議するもので、野党はそれからだ。」と首相に相手にしてもらえない怒りをぶちまけた。
首相の白羽の矢は、首相のかっての政敵であった「邪魔者」、大蔵大臣のショイブレ氏に向けられたが、野党の反応は目に見えていた。又、本人も大統領職に魅力を感じていない為、この話は早く消え去った。次にはいささか退屈感があるが、ミスのない確実な仕事をしている国防大臣が大統領候補に上がったが、「閣僚メンバーは受け入れない。」という野党の声明で、この候補者もボツになった。3度目の正直として候補にあがったのが、元最高裁判所の裁判官。今度は野党も頭から拒否しなかったので、「これで決まったか?」と思ったが、「とんでもない。」と本人が話を聞かされて辞退したので、この話もお流れになった。首相は、誰かを大統領候補に推す前に、その候補者に大統領になりたいかどうか、聞いてから候補に上げるべきだった。こんな初歩の手続きも踏んでいないことは、手持ちのカードがなくなっていた事を意味した。八方塞りの首相は、批判的なコメントも辞さない為、あまり気に入らないが野党にも受け入れてもらえそうな国会議長を推す事にした。今回は先回の失態に懲りて、ちゃんと本人に大統領になりたいか聞いたが、その答えは、"Nein, Danke."だった。
こうした政府与党が一向に大統領候補者を立てれない状況が続くと、「大統領なんて実権のない、飾りだけの職務は廃止すべきだ。」という声が大きくなってきた。この理論は、歴史にとらわれずに、合理的に物を考えるドイツ人らしい理論だ。ところが左翼政党を除き、他のすべての政党が大統領職の継続に賛成だったため、大統領探しは延長戦に入る事になった。
ここで首相に冷遇されていたレスラー氏が、反逆に出る。「F.D.P.はガウク氏を大統領候補に推す。」と声明を出し、敵側に寝返った。これを直接本人からではなく、テレビのニュースで聞かれた首相の怒りは、ものすごいものだった。欧州の運命を左右できる権威と権力を持つ首相を、次回の選挙では国会から消える運命にある弱小政党が裏切ったのだから、そのあつかましい態度は許せるものではなかった。首相がガウク氏の大統領候補に反対していたのは、面子の問題だった。首相は先回の大統領選でヴルフ氏を推した。その同じ首相が今、ガウク氏を推すと、先回の首相の判断が間違いであった事を認めてしまう。これが原因で首相には、ガウク氏だけは受け入れられるものではなかった。レスラー氏は、その辺の実情は百も承知。明智光秀のように、これまで冷遇された仕返しに、首相に一番堪える候補者を推す事にした。
これに狂喜したのが野党だ。「F.D.P.は3月18日の選挙で、ガウク氏に投票して、その誠意を示せばいい。」とやり、敵陣の反応を待った。すでに大統領のイメージに大きな傷が付いているので、「これ以上、公に非難の応酬をすべきでない。」と判断した首相は、連立政権の会議を開き、「内輪」で解決する事にした。首相はレスラー氏を軽んじており、直接会って、締め上げれば氏が翻意すると確信していたが、今度ばかりは氏は本気だった。首相がいくら脅してもレスラー氏は一歩も譲歩せず、逆に連立政権の終焉を示唆する始末。今、連立政権が潰れてしまうと、与党のイメージが悪化して首相の夢、3度目の首相任命が遠くなる。大統領職のような実権のない、何も得をする事がない候補者選びで、政権を無くしていいのか。そう考えた首相は、やはり首相たる度量があったようで、譲歩、「ガウク氏を大統領候補として推す。」と声明を出し、敗北を認めた。こうして全政党の"Wunschkandidat"(希望候補者)となったガウク氏は主要政党の責任者と共に記者会見に臨んで、与党、野党が氏を推す事に感謝の意を述べた。
ところがである。この"Wunschkandidat"に満足していない政党がひとつだけあった。左翼政党である。野党、与党から「一緒にガウク氏を推さないか。」と声さえもかかる事がなかったので、気分を害した。そこで独自の大統領候補を挙げる事にした。今回左翼政党が見つけてきたのは、Klarsfeld女史。早い話、ただのおばちゃんである。他のおばちゃんと違うのは、若い頃、ドイツの首相に平手打ちを食わせて有名になった事がある。初めから勝ち目がなく、恥をさらすだけの大統領候補になる事を何故承知したのか理解し難いが、またマスコミに注目されたかったのかもしれない。
大統領選出は3月18日に行われた。先回と異なり今回は最初の投票にてガウク氏が80%を超える得票率を得て、大統領に選出された。大統領に選出された後の最初の言葉は、"Was fuer ein schoener Sonntag."(なんという素敵な日曜日)であり、飾り気のない、素朴な人柄をよく表している。3月23日、国会にて大統領就任の宣誓を済ましたガウク氏は、大統領として最初の就任演説をおこなった。演説では、普通のドイツ人なら言いたくないタブーテーマ、ネオナチによるドイツ在住の外国人連続殺害にもしっかりと触れた。普通の人間ならタブーとするテーマを率直に語るその態度は、やはり立派なものである。一体、どの日本の首相が慰安婦問題など、日本社会のタブーテーマに言及する勇気を持っていただろう。
レスラー氏の最後の一矢で、

大統領となった、

ガウク氏を祝福する首相の心境は?

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