日本の財政力指数ランキングにて、都道府県の財政力を比較する事ができる。あらためて認識するまでもなく、最も人口の多い東京都が首位にある。ドイツには16の州があるが、最も人口の多い町、ドイツの首都ベルリンは、よりよってドイツ最貧の州である。ベルリンは町で州を構成している特別な例なので、比較するのは酷かもしれない。そこでドイツで最も人口の多い州、NRW州を見てみよう。この州は1800万人近い人口を抱え、東京都よりも人口が多い(面積は16倍)が、東京都と違って赤字に苦しんでいる。つまり勤勉な日本人の場合、人口が多ければ、それだけ地方政府の税収入が多くなる。それほど勤勉でないドイツ人の場合、人口は税収入には関係なく、産業の基盤がある州がお金持ちの州となる。
このお金持ちの州は、南部に集まっている。一説では真面目で貧困に苦しんでいた農民、シュバーベン族が、これに貢献しているという。食べる物にも困ったシュバーベンの農民は、19世に大挙して新大陸、北アメリカに移住、持ち前の勤勉でフランス人、英国人を押しのけて、ドイツ人の多く住む地域は裕福な州になったという。移住する金もなかったシュバーベン人は19世紀の工業化の波にうまく乗った。勤労を厭わないシュバーベン人は、独自のアイデアを実現させて企業家になるか、企業で真面目に働いて、企業が成功するのに貢献した。著名なドイツの会社、ポルシェ、メルセデス ベンツ、ボッシュ、アデイダス、プーマ、カールサイス、SAP(日本では全く知られていないが、ドイツではあのジーメンスを株価で上回る、ドイツ一高価な大企業である。)などは、シュバーベン人が築いた会社のごく一例に過ぎない。
産業の発展には整備されたインフラ設備が欠かせないが、その中でも一番重要な要素が安定した(安価な)電力供給だ。石炭、ガソリンが安い60年代までは、火力発電がドイツの発電量の主役を担ってきた。70年代に最初のオイルショックがやってくると、火力発電は採算が合わなくなった。同時にドイツで採掘される石炭は、地球の裏、オーストラリアで採掘された石炭をタンカーでハンブルクまで運び、ここから南ドイツまで艀で運んでくるよりも高くついた。こうして代わりのエネルギー源が必要になった。70年代から80年代にかけて、南ドイツは言うに及ばず、(西)ドイツ全土で原子力発電者が多く建造される事となった。ちなみに日本同様に敗戦国であったドイツでは核エネルギーの研究開発は長く禁止されており、50年代後半にやっと研究目的の原子炉が建設された。核エネルギーの使用はドイツの基本法にて禁じられていた為、1960年に基本法を変えて、「平和目的での核エネルギーの使用」を可能にして、初の民間の原子力発電所は1962年に稼動を開始した。
核エネルギーの「平和目的での使用」には最初から抵抗がないわけではなかったが、当時は「安いエネルギー源」として、政治的に推進された。これが変わってきたのは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故から。放射能を帯びた塵がドイツの上空に飛来、運の悪いことに雨が降った為、ドイツの森林、放牧地は放射能に汚染されてしまった。(これが原因で、今でも汚染地域のキノコ、猪の摂取は禁止、あるいは販売する前に放射能チェックが義務になっている。)この事故がきっかけになりドイツでは緑の党が躍進を開始、1998年になって初めて政権に参加、2000年には念願の「核エネルギーからの撤退」を法制化する。しかし2002年にこの政権が経済不況が原因で人気を落とし選挙に負け、保守政権が政権に就くと風向きが変わってきた。チェルノブイリの記憶が薄れたことをいい事に、核エネルギーからの撤退を反故にして、2022年まで原子炉を稼動させることにした。この法律が2010年8月に施行されたが、2011年3月に福島原発事故が起きてしまう。結果、この改正案がさらに改正され、元来の計画通り、核エネルギーからの脱退が決まった。
シュバーベン族の本拠、Baden-Wutremberg州では、90年代前半まで幾つかの電力会社が林立していた。ところが1996年に「エネルギーの自由化」が欧州議会で決定されて、例えばフランスやオランダで発電された電気をドイツの電気市場で販売する事が可能になった。これをきっかけに、「寄らば大樹の陰」と地方の電力会社が集まって、ドイツ第三の規模を誇る電力会社、EnBW(Energie Baden-Wuerttemberg)が誕生した。筆頭株主はBaden-Wuerttemberg州。当時は州が保有しているインフラ設備を投資家に売るのが流行っており、地方自治体は一流の投資家になった気分で、市の水道網や市の管理住宅を外国の投資家に売り飛ばした。この流行に乗って、BW州は2000年、保有していた株式の25.1%をフランスの電力会社に24億ユーロで販売してしまう。
州知事のOettinger氏は、このEnBWの株式の売却が最後の仕事になった。この売却の直後、メルケル首相の判断を公に批判したのがきっけかになり、州知事の責務から解任されて、遠いブリュッセルに飛ばされてしまう。後釜に座ったのは交通省の次官だったMappus氏だ。熱烈な"Sturttgart21"の信奉者であった氏は、州知事の座を獲得するとこの政策を、「犠牲を問わず」推し勧めた。その結果、住民から愛想を尽かされて選挙で負けたのはここですでに紹介した通り。このマップス氏、選挙で負けて「ただのおじさん」になり下がる前に、大きな取引を行っていた。政府が原発の稼動延長を決めると、「金儲けのチャンス!」と、フランスの電力会社からEnBWの株式を買い戻す交渉を開始した。「最低でも40ユーロ/株払わないなら、売らない。」と言うフランス人に対して、「じゃ、41,50ユーロでどうだ、」と、わけのわかならない交渉をした。当時、株価が37,70ユーロであった事、大量に株式を買うと通常は割り引きされる(大量に株が売られると、株価が下がる)事を考えれば、フランス人にとってこの話は「棚から牡丹餅」で、株式の売却はすんなり決まってしまった。
マップス氏は当時、「何処かで原発が吹っ飛ばない限り、この取引で大儲けできる。」と冗談で語っていた。ところが、この冗談が現実になったからたまらない。ドイツの電力会社の株価は軒並み大暴落して、価値が文字通り半減した。株価が下がると、これを保有している会社、あるいは地方自治体は差額を「損失」として計上する義務がある。この取引は47億ユーロの取引だったため、ほぼ25億ユーロという巨額がBW州の借金となってしまったからたまらない。野党は取引の調査を求めたが、州知事はこれを拒否、事実を闇に葬ろうとした。
本来なら、この取引の詳細は知られることはなかっただろう。ところがマップス氏が選挙で負けた。政権を獲得した野党は、このいかがわしい取引の調査を開始した。こうしてスキャンダルが暴露される事となった。調査によるとこの取引は、州知事のマップ氏のアイデアではなかった。この取引を考え出したのは、氏の「刎頸之交」、Morgan-Stanley銀行に勤めるNotheis氏のアイデアであった。モルガンスタンレーは取引を仲介、売買が成功するとその報酬として取引額の8%を手数料をしていただく手筈になっていた。なれば、株価が37ユーロで売られるよりも、41ユーロで売られるほうが格段に手数料が高くなる。それも億単位の金だ。これでやっと不可解な株式の買い取り価格の説明がつく。州知事のマップス氏は、州の住民が納めた大切な税金を旧友を助けるために浪費して、BW州にかってない大損害を負わせてしまったのだ。
取引の全容が報道されても当の本人は、「州のために行った事で、誤る謂れなどない。」と頭から責任を拒否して政治家の見本を示した。ところが今回ばかりは、それで済まなかった。検察が収賄容疑で動き出してしまった。モルガンスタンレー銀行のオフィスは言うに及ばず、ノタイス氏の自宅にまで警察が帰宅捜索に押しかけた。これを見たBW州のCDUは、氏に党からの脱党をうながしたが、「そんなつもりはない。」とマップス氏。かってはCDUの期待の星だった氏だが、今ではCDUの棺桶の釘になりかねない状況である。州知事という重責にある人物が、友人を助けるために州の予算を着用するのは、赤道付近の温暖地域の国々なら日常茶飯事だ。だからドイツ人はこうした国を軽蔑して、「バナナ共和国」と呼ぶ。しかし実際には、先進国のドイツでも堂々と行われている。一般に言う先進国とは一体、何が基準になっているのだろう。
刎頸之(マップス氏)、

友(ノタイス氏)。

このお金持ちの州は、南部に集まっている。一説では真面目で貧困に苦しんでいた農民、シュバーベン族が、これに貢献しているという。食べる物にも困ったシュバーベンの農民は、19世に大挙して新大陸、北アメリカに移住、持ち前の勤勉でフランス人、英国人を押しのけて、ドイツ人の多く住む地域は裕福な州になったという。移住する金もなかったシュバーベン人は19世紀の工業化の波にうまく乗った。勤労を厭わないシュバーベン人は、独自のアイデアを実現させて企業家になるか、企業で真面目に働いて、企業が成功するのに貢献した。著名なドイツの会社、ポルシェ、メルセデス ベンツ、ボッシュ、アデイダス、プーマ、カールサイス、SAP(日本では全く知られていないが、ドイツではあのジーメンスを株価で上回る、ドイツ一高価な大企業である。)などは、シュバーベン人が築いた会社のごく一例に過ぎない。
産業の発展には整備されたインフラ設備が欠かせないが、その中でも一番重要な要素が安定した(安価な)電力供給だ。石炭、ガソリンが安い60年代までは、火力発電がドイツの発電量の主役を担ってきた。70年代に最初のオイルショックがやってくると、火力発電は採算が合わなくなった。同時にドイツで採掘される石炭は、地球の裏、オーストラリアで採掘された石炭をタンカーでハンブルクまで運び、ここから南ドイツまで艀で運んでくるよりも高くついた。こうして代わりのエネルギー源が必要になった。70年代から80年代にかけて、南ドイツは言うに及ばず、(西)ドイツ全土で原子力発電者が多く建造される事となった。ちなみに日本同様に敗戦国であったドイツでは核エネルギーの研究開発は長く禁止されており、50年代後半にやっと研究目的の原子炉が建設された。核エネルギーの使用はドイツの基本法にて禁じられていた為、1960年に基本法を変えて、「平和目的での核エネルギーの使用」を可能にして、初の民間の原子力発電所は1962年に稼動を開始した。
核エネルギーの「平和目的での使用」には最初から抵抗がないわけではなかったが、当時は「安いエネルギー源」として、政治的に推進された。これが変わってきたのは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故から。放射能を帯びた塵がドイツの上空に飛来、運の悪いことに雨が降った為、ドイツの森林、放牧地は放射能に汚染されてしまった。(これが原因で、今でも汚染地域のキノコ、猪の摂取は禁止、あるいは販売する前に放射能チェックが義務になっている。)この事故がきっかけになりドイツでは緑の党が躍進を開始、1998年になって初めて政権に参加、2000年には念願の「核エネルギーからの撤退」を法制化する。しかし2002年にこの政権が経済不況が原因で人気を落とし選挙に負け、保守政権が政権に就くと風向きが変わってきた。チェルノブイリの記憶が薄れたことをいい事に、核エネルギーからの撤退を反故にして、2022年まで原子炉を稼動させることにした。この法律が2010年8月に施行されたが、2011年3月に福島原発事故が起きてしまう。結果、この改正案がさらに改正され、元来の計画通り、核エネルギーからの脱退が決まった。
シュバーベン族の本拠、Baden-Wutremberg州では、90年代前半まで幾つかの電力会社が林立していた。ところが1996年に「エネルギーの自由化」が欧州議会で決定されて、例えばフランスやオランダで発電された電気をドイツの電気市場で販売する事が可能になった。これをきっかけに、「寄らば大樹の陰」と地方の電力会社が集まって、ドイツ第三の規模を誇る電力会社、EnBW(Energie Baden-Wuerttemberg)が誕生した。筆頭株主はBaden-Wuerttemberg州。当時は州が保有しているインフラ設備を投資家に売るのが流行っており、地方自治体は一流の投資家になった気分で、市の水道網や市の管理住宅を外国の投資家に売り飛ばした。この流行に乗って、BW州は2000年、保有していた株式の25.1%をフランスの電力会社に24億ユーロで販売してしまう。
州知事のOettinger氏は、このEnBWの株式の売却が最後の仕事になった。この売却の直後、メルケル首相の判断を公に批判したのがきっけかになり、州知事の責務から解任されて、遠いブリュッセルに飛ばされてしまう。後釜に座ったのは交通省の次官だったMappus氏だ。熱烈な"Sturttgart21"の信奉者であった氏は、州知事の座を獲得するとこの政策を、「犠牲を問わず」推し勧めた。その結果、住民から愛想を尽かされて選挙で負けたのはここですでに紹介した通り。このマップス氏、選挙で負けて「ただのおじさん」になり下がる前に、大きな取引を行っていた。政府が原発の稼動延長を決めると、「金儲けのチャンス!」と、フランスの電力会社からEnBWの株式を買い戻す交渉を開始した。「最低でも40ユーロ/株払わないなら、売らない。」と言うフランス人に対して、「じゃ、41,50ユーロでどうだ、」と、わけのわかならない交渉をした。当時、株価が37,70ユーロであった事、大量に株式を買うと通常は割り引きされる(大量に株が売られると、株価が下がる)事を考えれば、フランス人にとってこの話は「棚から牡丹餅」で、株式の売却はすんなり決まってしまった。
マップス氏は当時、「何処かで原発が吹っ飛ばない限り、この取引で大儲けできる。」と冗談で語っていた。ところが、この冗談が現実になったからたまらない。ドイツの電力会社の株価は軒並み大暴落して、価値が文字通り半減した。株価が下がると、これを保有している会社、あるいは地方自治体は差額を「損失」として計上する義務がある。この取引は47億ユーロの取引だったため、ほぼ25億ユーロという巨額がBW州の借金となってしまったからたまらない。野党は取引の調査を求めたが、州知事はこれを拒否、事実を闇に葬ろうとした。
本来なら、この取引の詳細は知られることはなかっただろう。ところがマップス氏が選挙で負けた。政権を獲得した野党は、このいかがわしい取引の調査を開始した。こうしてスキャンダルが暴露される事となった。調査によるとこの取引は、州知事のマップ氏のアイデアではなかった。この取引を考え出したのは、氏の「刎頸之交」、Morgan-Stanley銀行に勤めるNotheis氏のアイデアであった。モルガンスタンレーは取引を仲介、売買が成功するとその報酬として取引額の8%を手数料をしていただく手筈になっていた。なれば、株価が37ユーロで売られるよりも、41ユーロで売られるほうが格段に手数料が高くなる。それも億単位の金だ。これでやっと不可解な株式の買い取り価格の説明がつく。州知事のマップス氏は、州の住民が納めた大切な税金を旧友を助けるために浪費して、BW州にかってない大損害を負わせてしまったのだ。
取引の全容が報道されても当の本人は、「州のために行った事で、誤る謂れなどない。」と頭から責任を拒否して政治家の見本を示した。ところが今回ばかりは、それで済まなかった。検察が収賄容疑で動き出してしまった。モルガンスタンレー銀行のオフィスは言うに及ばず、ノタイス氏の自宅にまで警察が帰宅捜索に押しかけた。これを見たBW州のCDUは、氏に党からの脱党をうながしたが、「そんなつもりはない。」とマップス氏。かってはCDUの期待の星だった氏だが、今ではCDUの棺桶の釘になりかねない状況である。州知事という重責にある人物が、友人を助けるために州の予算を着用するのは、赤道付近の温暖地域の国々なら日常茶飯事だ。だからドイツ人はこうした国を軽蔑して、「バナナ共和国」と呼ぶ。しかし実際には、先進国のドイツでも堂々と行われている。一般に言う先進国とは一体、何が基準になっているのだろう。
刎頸之(マップス氏)、

友(ノタイス氏)。

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